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松前丸 (2代) : ミニ英和和英辞書
松前丸 (2代)[まつまえまる]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [まつ]
 【名詞】 1. (1) pine tree 2. (2) highest (of a three-tier ranking system) 
: [まる]
 【名詞】 1. (1) circle 2. (2) full (month) 3. (3) perfection 4. purity 5. (4) suffix for ship names 
: [よ, しろ]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 

松前丸 (2代) : ウィキペディア日本語版
松前丸 (2代)[まつまえまる]
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松前丸(まつまえまる、Matsumae Maru)は、国鉄青函航路車載客船で、鉄道電報略号は「マツマ」。青函連絡船の松前丸としては2代目で、津軽丸型の第3船である。姉妹船には、津軽丸八甲田丸大雪丸摩周丸羊蹄丸十和田丸がある。
船体の塗装は新造時は外舷下部が緑色(2.5G5.5/6)、外舷上部が象牙色(2.5Y9/2)で、煙突はうすいピンク色(5YR8/4)一色にJNRマークだけ、と津軽丸型他船のような白鉢巻なしで異彩をはなっていたが、 1969年(昭和44年)12月に、船体色は 八甲田丸の 新造時塗装そのままの薄緑色(5G7/6)と乳白色(7.5Y9/0.5)に変更され、煙突は白鉢巻つきの外舷下部と同色となった〔古川達郎 続連絡船ドックp296 船舶技術協会1971〕〔古川達郎 鉄道連絡船100年の航跡p232、p235 成山堂書店1988〕〔八甲田丸は1969年(昭和44年)9月に外舷下部色を黄色(3.1Y8.3/15.6)に変更済みであった〕。
== 概要 ==
(詳細は津軽丸(2代)参照)
津軽丸型第3船として、第1船の津軽丸がまだ建造中の1964年(昭和39年)2月29日函館ドックで起工し、同年10月31日に竣工、同年12月1日就航した。
本船を含む津軽丸型は、洞爺丸事件宇高連絡船 紫雲丸事件を教訓として設計された高い安全性と、当時の国鉄連絡船としては最多となる ワム換算48両の車両を積載でき、従来の車載客船に迫る1,200名の旅客を乗せ、青森-函館間を3時間50分で運航できる高速性能を持ち、更に当時の最先端技術をふんだんに採り入れ、運航要員を従来の車載客船の半分以下の53名にまで削減した自動化船であった。
安全に対しては、車両甲板船尾開口部への水密扉設置はもちろんのこと、車両甲板下の船体を12枚の水密隔壁で13区画に分け、隣接する2区画に浸水しても沈まない構造とし、更に船体中央部の5区画では、船底だけでなく側面もヒーリングタンク等で二重構造とした〔古川達郎 続連絡船ドックp166 船舶技術協会1971〕〔古川達郎 鉄道連絡船100年の航跡p168 成山堂書店1988〕。
主機械には背丈の低い中速ディーゼルエンジンを8台搭載することで、機関室の天井の低い車載客船での大出力化を実現した。通常は主機械6台程度の稼働で定時運航可能であったため、運航中にも機関整備が可能となり、そのための休航は不要となった。これら主機械は自動負荷分担装置により、船の加減速等による負荷変動にかかわらず、毎分750回転を維持しつつ、負荷が各主機械に均等にかかるよう個別に燃料噴射量が自動調節された。
推進装置には当時日本最大の可変ピッチプロペラを装備し、操舵室からの翼角遠隔制御だけで、前後進推力を素早くコントロールできた。更に船首を横方向に押すバウスラスターを装備して、狭隘な港内で迅速に離着岸できる低速時の高い操船性能も確保した。
このような、当時としては画期的な高性能船の連続建造の3隻目で、先行建造船の使用実績をフィードバックする時間的余裕はなく、装備機器の開発、選定、装備作業は未だ試行錯誤の段階であった。その結果、津軽丸型の各船では、装備機器の仕様が異なってしまった例が多かった。特に本船では、係船機器に、その後の青函連絡船の標準となった東洋電機製造製ではなく、ただ1隻川崎重工製が採用され、同様に推進用可変ピッチプロペラにも川崎 エッシャーウイス式が採用され、ヒーリングポンプに油圧モーター駆動の可逆転固定ピッチプロペラを用いるなど、第1船の 津軽丸(2代)と本船の2隻は、他の5隻との差異が大きく〔松前丸ハンドブック 函館ドック〕、そのため保守管理面にやや難があり、これが18年の耐用年数での早々の引退につながった〔古川達郎 鉄道連絡船100年の航跡p212、213 成山堂書店1988〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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